株式会社やまやま 猪原有紀子

株式会社やまやまは、社会課題を解決しながら子どもにとっていい社会をつくります。

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【メディア】同志社女子大学の取材でした!

子どもにとっていい社会をつくる株式会社やまやまの猪原有紀子です。

今日は母校である同志社女子大学の広報誌「Vine」の取材でした。

14年前に私は吹田市の実家から毎日、学研都市線の同社前駅まで通っておりました。懐かし…

広報課の方々、カメラマン、ライターさん総勢6名で私が経営している自然体験施設「くつろぎたいのも山々」に来てくださいました!

インタビューは現役4回生のなほこさん!ピチピチで初々しかったし可愛かった〜〜〜!!!

学生時代にどんな40代になりたいか決める

色々質問をされる中で、当時の記憶がかすかに蘇ってきました。なんせ14年前のことなんでね!w

「女性の幸せは40代で決まる。20代では決まらない。」と恩師に教えてもらった私は

40代では子どもが2〜3人いて、仕事もバリバリやっていて社会で活躍する人材になる!と大学生の時に決めていました。

今、36歳ですが三兄弟を育てながら自由に仕事ができているのはこの時に決めたからだと思います。

そうなったらいいな〜ではなくて、そうする。と決めると威力抜群です。

意志を持って自分で決める

これが女性にはとっても大事だと思っていて、人生の手綱を旦那とか子どもとか職場に渡してしまうと「旦那が」「子どもが」「職場が」って言い出してしまい意思のない人生になっちゃうので赤信号。

自由に動けなくなった時に後悔してしまう可能性があります。

同志社女子大学情報メディア学科での学び

今は学科の名前が「メディア創造学科」に変わっているのですが、当時「情メ」と呼んでいました。学費が恐ろしいほど高くて(後で知った)1人にレッツノートが配布され、最新鋭のMacなどが使いたい放題でした。私はチームで何か作品を作るよりも1人で考えて、人を配置して、CMを撮影して編集したり、広告を作ったりすることがとても好きでした。

放課後にずーっとMacをいじってゼロから1を生み出すことが好きでした。

それが今の自分の仕事にも似ているなとインタビューを受けていて思いました。

後は、情メの先生は独特なカラフルな人が多くて社会を厳しさを透けて見れたこともよかったと思います。笑

学生時代の私たちw

懐かしい写真を掘り起こしてきました。w

これ卒業パーティーですね。影山ゼミの仲間達です。化粧がね〜〜〜〜〜wwww

これは情報メディア学科を創設した川田先生です!

めっちゃ独特な先生で好きでした!w 会いたい!

やばい〜!影山先生と!私は影山ゼミでした!

カンテレの中島めぐみアナウンサーは影ゼミの後輩で、私が「報道ランナー」で密着取材をされた時にナレーションしてくれたのはめぐみんだったんです!!!!!

共演嬉しいです!影山先生にもお伝えしました!とメッセージをくれました!

写真を見ていたら、いろんな思い出が蘇りました。

学生時代と今

インタビューしてくれた22歳現役女子大生のなほこちゃんが

「就活決まったけど社会人になるのが不安。猪原さんはすごく楽しそうで、どうやったらそんな社会人生活をおくれるのか?学生が楽しすぎる」

と質問をくれました。

当時は学生最高!と私も思っていたかもしれないんだけど、今言えることは社会に出た後もめっちゃ最高に楽しかったということ。

学生の時の楽しさは身長制限で親と一緒にジェットコースターに乗ったり、乗り物が指定されている楽しさだったけど

社会人になってからは、もうなんでも自分のせい、全部、自分に返ってくるという楽しさがある。笑

外見も洗練されてシュッとして気に入ってるし(笑)当時はぴちぴちだったわ、私も。

ややこしかった思考も今はストレートになりつつあり、それもとても気に入っている。

家族をつくってよかった

14年前との1番の違いは、家族ができてパパと三兄弟がいて(犬とカメと烏骨鶏もいる)絶対的なものに守られている感じが1番違う。

明日、火星に行かなきゃいけない事情ができても家族がいれば平気だなという感じ。

私の事業はそもそも、この家族がいなかったら生まれていない事業なわけなので、家族が仕事よりも上位にくるんですね。

でもそれも、全ては学生時代に頑張ったこと、社会に出て頑張ったこと、その全てがパパとの出会いに繋がっていて、三兄弟とも会うことができたと思うので全部繋がっているんだなと思います。

とっても素敵な機会を頂きました。同志社女子大学の皆様ありがとうございました!

次はキャンパスに伺います〜!